怠惰への賛歌 ラッセル
タイトルを見て「悪徳の栄え」や「悪の華」を思い出しましたが
実にまっとうな内容です
「努力」「勤勉」は称賛され「怠惰」は非難の対象
それが世間一般の価値判断であることはいうまでもありません
私もかつて学校の先生に「怠惰である」とお𠮟りを頂戴したことはありますが
先生に教わった教科にはまったく興味がなかっただけで
私自身は怠惰だとは1㎜も思っていませんでした
もちろん先生から怠惰であると評価されるに足りる十分な実績があったわけで
その角度からは正当な評価であることは間違いはなく
違う側面をご存じない先生からすれば至極当然の言葉だったと思います
つまり努力・勤勉・怠惰の評価は
評価する人の立場によって決められるものであり
怠惰が必ずしも無価値であるとは限らないというのが本書のポイントです
社会の大きな矛盾点として
コツコツ真面目に働き残業が多く休む暇もない労働者よりも
働かずに豊かな暮らしができる資産家の方が尊敬され憧れるのですが
勤勉が評価されるはずなのにこれっておかしくないですか?
むかしから貴族や王族など
勤労に従事しない人の方がエライというのは歴史を見ても明らかですが
彼らを支えるためには平民が過酷な労働を強いられることで
利益を上げそれを吸い上げることがエライ人たちを支えているわけです
時代が変わっても貴族や王族が会社に変わっただけのこと
もちろん会社の持ち主は株主という資産家であって
時代が変わってもシステムはさほどかわってはいません
勘のいい人ならお気づきかもしれませんが
ラッセルは共産主義・社会主義に近い考え方をお持ちのようです
ただし私自身思うのは世界中でマルクスが掲げた理想的な共産主義国はどこにもなく
共産主義を掲げた独裁国家があるだけです
さしずめジオン・ダイクンの名をかたって独裁政治をしたザビ家のような感じでしょう
本書においてはその辺の政治信条についても語られていますので
きちんと読んでみれば納得のいく部分も多いです
さてラッセルが怠惰を勧めたのは政治思想からではなく
怠惰というよりも「余暇」と表現した方が人々からの納得を得られるのでしょうが
あえて「怠惰」という言葉のチョイスはインパクト狙いだったのではないでしょうか?
文化や芸術は余暇がないと育たないという理屈です
私事で恐縮ですがかつて会社員をしていたころ
休みは月に3日程度で毎日残業
毎週日曜日は手書き書類作成のため午前2時ごろまで自宅で仕事をしてました
少ない従業員で人件費を減らしその分馬車馬のように働いた結果
私もそこそこ給料をいただいていたので文句はありませんが
少なくとも会社が潤っていたのは事実
そういう労働環境だったおかげで
同業他社がバタバタと倒産するなか今も健在であるのは
徹底的に利潤追求をされていたからだと思います
恨み言を言いたいわけではありません
私自身もそういう環境の中で育てられましたので
今の仕事でもなんとかここまで生き残ってこれたと思っております
そういう点では今でも亡き社長をはじめ上司の方々には感謝しております
ただそれだけ働いて休暇もないと
気持ち的にも疲れ果てていたので
本を読む時間も心の余裕もなく
「本当にバカになる」と危惧していたのは事実
考えることを放棄して働いていた感もあったので
やめてからわかったのは人間暇がないと
文化的な生活ができないと感じました
現在いろいろなものに興味を持ち
本をいっぱい読んでいるのは
あの時代に感じた渇望が大きな力となっていることは間違いありません
だいたい文化・文明・芸術はヒマがあって金がある人によって育まれるものです
自らやらなくても芸術のパトロンとなる人はだいたいそういう人
馬車馬が本を読みますか?馬車馬が哲学しますか?
否!そんなことしたら馬車を引かなくなるでしょう
それが具合悪いから努力や勤勉を推奨しひたすら働かせる
それがラッセルが言いたいことのようです
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