茶の本
筆者と本名で「岡倉覚三」とありますが
岡倉天心の通り名の方が有名です
明治時代の思想家とありますが美術評論家としての側面の方が一般的かもしれません
たまたま本書の紹介で興味を持って購入したのですが
素直にお茶の本と思ってはいけません
筆者は茶道は禅の一形態というとらえ方をされていますので
「美味しいお茶の入れ方」などは1㎜も登場いたしません
さりとてゴリゴリの禅宗の教えというわけでもありませんので
禅の教えをベースとした岡倉天心の思想や価値観といった方がよさそうです
なんでも突き詰めて考えれば哲学になる
そんな印象が残る本です
そして筆者の意識は文明開化が叫ばれる明治の風潮に対して
日本文化・東洋思想を示したものとの見方ができそうです
昔の話というのではなく令和の時代になっても欧米の文化にあこがれ
日本の持ち味に価値を見出さない傾向は
100年以上たっても変わらないばかりか
当時よりも現代の方が日本の文化や思想が薄れてきたような気もします
西洋と東洋の思想や文化のどちらが優れているなんて
単純な話ではなくいいものは素直に耳を傾けることも必要だと感じました
なるほどと思ったのは「水差し」の本質の話
水差しという器にその本質があるのではなく
材質に覆われた空間にこそ水差しの本質があるといわれます
人は高価な材質や銘のある器にその価値を見出そうとしますが
水が入れられる空洞にこそ水差しの本質があるといわれます
こういった考え方は柔術や相撲などで
相手の力を利用して投げるという技がありますが
「虚」というものの価値を忘れてはいけないということなのでしょう
得てして自分の力に頼りがちなときもありがすが
「虚をつく」ということの意義というか全体の中の価値や役割の重要性を再認識させられます
たぶん私らの仕事にもかかわることなんでしょう
我々が忘れかけているモノの見方を
掘り起こしてくれる名著だといえそうです
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