
脳が目覚めるたった1つの習慣 瀧靖之
『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』
(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
こんな言葉が論語にあり最近私が最も好む言葉です
「苦労して勉強しても好きでやってるヤツにはかなわない」
「好きでやっていても楽しんでやってるヤツにはかなわない」
そういう言葉です
「努力」というのは世間の金科玉条ともいえるワードではありますが
所詮はツライと感じながらイヤイヤ義務的にやっているにしかすぎません
好きでやってるヤツは義務感ではなく喜んでやってるわけですからいくらでも頑張ってしまうわけで
イヤイヤやってるやつがかなうわけがない
さらに好きでやってても楽しんでいるヤツはやればやるほど楽しいわけですから
最強だというわけです
禅にも「遊戯(ゆげ)三昧」という教えがあり
今やってることをいかに楽しむかという命題?みたいなものがあります
日本人に限らないでしょうが人は「努力しました」とか「苦労しました」とかいうのが好きですが
心情的にはやりたくないことをやってるわけで
ある程度までは登れるはずではありますが
最上位の人を見ていると意外に楽しそうに見えるんですよね
我々凡人は「天才は違うなぁ」と変な納得をするのでしょうが
天才と称されるお人は心底楽しんでいるからこそ
疲れ知らずに寝食も忘れてやり続けた結果がたまたま上手くいったくらいに感じているのではないかということ
宿題だったらものの30分ほどで投げ出す小学生でも
ゲームをやらしたら食事の時間になっても没頭しています
その集中力たるやすさまじいレベルだと思います
ただ如何せん親や教師にとっては都合が悪いだけのことなんです
ゲームが嫌いな人からみれば
エンディングを目指して努力しているように感じるかもしれませんが
彼らは目標に対し努力しているのではなく楽しんでいるだけなんです
その状況をそのまんま社会に有益なことであったり
仕事となり高収入を得たりすると彼らの主観的状況を知ろうともせず
「努力のたまもの」とのたまうわけです
で、結局本書の骨子はそういう楽しんで物事をやってる人間の脳の状態を
脳科学とやらで分析したものと言ってしまえば
いささか乱暴かもしれませんが
大切なことは自分を活かすには
いかに楽しんで生きられるかにかかってくるということ
だから幸せになるためにどうすればいいのかという
究極の人生論ともいえる壮大なお話になります
毎日美味しいものを食べて
お金持ちになって
異性にモテモテで
そう考えるのも自然だと思いますが
そういった幸福は毎日、何年も、何十年も続けば
果たして幸福感が得られるのか?
そういう問題は一度経験してみてから考えたいものではありますが
楽しむとかワクワクするとかってそういった幸せとは少し違うように感じます
自分は不幸だと感じてらっしゃる方は
一度本書を読まれて自分の幸せとは何かを考えてみられるのも悪くはないと思います
美味しいものを食べられない、お金がないというのは不幸の原因になりえますが
あれば必ず幸せになるというものでもないと思います
自分の脳は何を欲しているのか?
それが見つかって行動できれば幸せになれるかもしれません
「何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのはイヤだ」
そんな歌の文句がありましたが
会社をやめて今の仕事に入る前、よく口ずさんでいたものです
そういうことのヒントが本書にあるかもしれません
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