春宵十話
筆者は世界的な数学者です
1901年(明治34年)のお生まれですから
私の祖父母の年代ということになります
数学者の随筆だからたいそう論理的なお話かと思いきや
本書の中心的なテーマは「情緒」
筆者の論調に触れると数学が哲学であったり芸術であるかのような印象を受けます
数学と情緒とは対極のイメージを持っていたのですが
そんな思いは軽く吹き飛ばされてしまいました
AIの技術が進む今の世の中情緒が薄れてしまうような気もしますが
考えてみれば優秀なコンピューターでもプログラミングは人間の仕事
計算は早いけど無いところから何かを生み出す能力はないわけですから
こういう時代だからこそ筆者が大事にした情緒というものが
これからの時代のキーワードになってくるかもしれません
昭和初期から日本人の情緒が薄れてきたのではないかと筆者は危惧されていました
筆者が今の時代にいらっしゃるならひっくり返りそうな気もします
ただ情緒も時代によって移り変わるものですから
今の時代にも情緒あふれる人もいるでしょうし
明治の世の中でも情緒の乏しい人はいたでしょうから
そうそう嘆く必要はないと思いました
ただ筆者が言われる通り情緒捨て無機質になることは危険かもしれません
情緒とは幅広く物事を感じ取る能力とするならば
目の前に見えているものしか感じ取れず
奥行や裏表、時の流れなど見えない要素を感じ取ることができなかったとしたら
それこそ数学という学問は成り立ちえないでしょう
過去の政府が国立大学を理科系だけにするということを言われたことがありますが
これは生産性を上げるための方法論と捉えました
筆者は教育について渋柿の木に甘柿の枝を挿し木して促成栽培するようなものだと述べられています
教育はじっくり熟成させて人間性を高めることが大事だと言われています
私らも学生時代どちらかというと詰め込み教育を受けて育ったという認識があります
そのうえでこの年になって身についているものは自分自身で考え抜いて理解したものだけ
今の時代なら覚える情報量はコンピューターにお任せして
人間は考えて悩むという作業をもっとした方がいいのかもしれません
昔々の随筆ではありますが
その内容はいつの時代にも共通したテーマかもしれません
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