体育の可能性
今月の特集は「体育の可能性」
持論なんですが人生で一番楽しいことは「知らなかったことを知る」ことと「できなかったことができる」ことだと思います
体育だけではなくすべての教育に共通することだと思います
その中で自らの超えるべき課題を持ち
できなかったことができるようになることで
面白さを伝えるということが大切なことだと思います
特集記事にはそういった体育のあり方が記されています
そのプロセスには必ず失敗がつきもので
どうやって失敗と付き合っていくかが重要なカギを握るようです
失敗を楽しむことは指導者が強く意識していないとなかなか難しいでしょう
少なくとも教育が子供にとって強いて勉めるものでないことを願うばかりです
そして体育の可能性を広げるキーワードとして
「遊び」という要素が論じられているのも興味深い点です
教育の現場で「遊び」という要素が入ってくると
眉を顰めるかたもいらっしゃるでしょうが
ホイジンガの遊戯の概念が持ち出されていました
「遊戯が人間活動の本質であり,文化を生み出す根源だとする人間観。遊戯は生活維持を求める生物学的活動を超え、生活に意味を与えるものであると主張」
「遊び」に対しこういった見方をすることで
体育も遊びの要素が十分入りうるだろうと思います
いくつかの記事で共通の問題は
個々に合ったステップを設定することで
成功体験をさせることもやる気につながるかどうかの重要な要素であると言われています
成功してこそ喜びが生まれ
次のステップのモチベーションとなるからでしょう
4月号で興味を持ったのは「テニスの現場からの『なぜ』に答えるスポーツ科学」という連載
そのテーマが「重いボールを打つには」
よくピッチャーの投球が重いとか軽いと表現されますが
物理学的にはどういうことなのか疑問に思ってましたが
初めて納得のいく解説を聞きました
連載コラム『身体言葉に学ぶ知恵』
今回のテーマは「殺身成仁」
一見、不穏な印象のある言葉ですが
世のため人のために働くということ
真の成功者には必ず協力者がいます
人が寄ってくる人間になるためには「利己」ではいけません
「利他」の精神こそ人から尊敬され人が寄ってくるポイントとなります
しかしながら搾取されるだけのお人よしでは成功は望めません
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