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2018/09/21

脳はなぜ「心」を作ったのか

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脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 前野隆司

「心」とは何か?
「意識」とは何か?
「無意識」とは何か?

脳の活動は少しずつ解明しつつあるものの
まだまだ未知の部分が多いことは確かなようです

例えば手を揚げるという動作一つをとっても
どの筋肉とどの筋肉を収縮させて挙上するかという
具体的なメカニクスに関して意識して手を挙げる人はいません
漠然と手を揚げるというイメージは意識していますが
肝心なメカニクスに関しては意識は及びません
ましてや手を動かすことによって心拍数が上がるとか
付随した活動になれば無意識によって行われるのがフツウでしょう

ならばそこで我々が抱く「意識」とは一体どういう意義があるのでしょう
人間の体内での活動の多くは「無意識」で行われています

本書は「意識」と「無意識」
そして意識の主体としての「私」という存在など
わかっているようでわかっていなかった疑問に斬新な解説で答えてくれた本です

本書のハイライトは何と言っても「受動意識仮説」
人の行動は無意識が主体的に行われ
意識が決定していると思っているのは勘違いだという考え方です
我々が持ち合わせている常識というやつからすると合点のいかない仮説です

我々が普段している意思決定というのは無意識が行ったものを
「私」が「意識」して行ったと誤解しているだけ
それなら意識に何の意義があるんだ?
そんな疑問を持たない方がおかしいでしょう

ところが筆者はエピソード記憶をするための主体として意識があるという説明になります
おそらく筆者自身が自説を地動説になぞらえて表現されること自体
現在では少数説であることが薄々わかってきます
それでもいずれ天動説から地動説が常識となったように
変わりうるものだと信じておられるようです

最初は疑問に感じた仮説ではありますが
言われてみれば行動してから考えているときも少なくなく
実験でも「無意識」下の運動準備電位が生じた時刻が「意識」が「意図」した時刻よりも0・35秒早く
実際に指が動いたのは「意図」した時刻の0.2秒後だったと言います
さすがに意図した時刻より遅れて指が動いたのですが
動かすための準備は意図する前に始まっていたというのは驚くべきことです

往々にして実験というものは条件が変われば
結果も変わることもあり得ますので
全部鵜呑みにすることはできませんが
そういう事実があり
自分自身にもそういう経験があるということは否定できません

数え切れないほどの無意識の身体活動の中で
主体だと勘違いしながら自らの行動を追認している「私」
それでもなお「私」の「意識」で身体活動をコントロールすることも当然可能であって
全てが全て「無意識」が主体的に活動しているわけではありません

本書を読んで「意識」と「無意識」と「記憶」と「心」の関係は
ずいぶん整理されとてもわかりやすかったと思います

受動意識仮説というものに納得できる部分もあり
逆に同意できない場面も考えられ
別のところで疑問が生じました

とても大切面白い本です
真実かどうかはわかりませんが…

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