連鎖
近年ギョーカイでは「筋膜の連続性」に着目する方が増えています
私が知らなかっただけなんでしょうが
この世界に入ったことは骨格の歪みを治すことが主流で
こういう発想をする方はまだそんなに多くなかったように感じています
どちらが正しいというのは実にナンセンスでして
身体の中で起こっていることは決して一つだけではなく
身体の中で不活性が生じると様々な部位や器官の機能が損なわれ
骨がゆがむこともあれば、筋拘縮も起こります
10年ひと昔くらいかもうちょっと早いサイクルで
ギョーカイの視点が移り変わるだけのことだと考えています
どうしても新しい視点には注目が集まり
古い発想による主義は軽視される傾向は否めませんが
それでもそこそこ効果があったからこそ
その時代時代の注目を浴びたわけで
古いから効果がない(薄い)というのは当たりません
ここ10年ほど注目を集めてきた筋膜でさえ
年数がたてば同じようなことになるかもしれないということ
なぜかというと筋膜リリースを使う術者のすべてが
上手く技を使いこなせるとは限りませんし
それ以前に身体の見立てができないようならお話にならないでしょう
いかなる新しい技が登場してもきちんとした見立てをして
的確な施術ができる者はそんなに多くないから
結果を出せなかった術者は問題を技に転嫁し
違う手技に手を出すからいつまでたっても中途半端なままなのかもしれません
かく言う私もこれまで様々な手技に手を出してきました
だからここで申し上げた辛辣なお話しは
人様のことというよりは私自身のことです
中途半端に覚えた手技は結構数多いのですが
それぞれが未熟なせいもあり上手くいくときもあれば
かすりもしないときもあります
ただそれぞれの技になっとくできる理(ことわり)を感じたからこそ
会得したいと思って勉強したわけですから
そんなに悪いものではないと思います
むしろ問題なのはこれまで触れてきた考え方やそこから導き出される技法が
孤立しているところにあるのではないかと思っています
最初に申しあげたとおり筋膜のみならず
身体には無数の連鎖があるわけでして
その事実に対峙するには技も連鎖させないと
大きな効果を生み出せないのではないかと思うようになってきました
オステオパシーの創始者A.T.スティルが「身体はひとつのユニットである」と言ってたように
我々が使う技もバラバラの単品であってはいけないように思います
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