「自分で考える」ということ
何かの間違いで購入したのは哲学書でした
正直そんなつもりで買ったわけではなかったんですが
読んでいるうちに哲学書だと気づいたというお粗末な話
著者、澤瀉久敬(おもだか ひさゆき)氏は医学博士であり哲学者
氏の書いた論文「「医学概論」は今でも評価の高い論文だと聞き及びました
とりわけ興味を持ったのは自然治癒力に対する考え方
ある学会のレジュメを医師からいただいたのですが
そこに自然治癒力に対する考察のまとめがあり
もっと知りたくなったのですが
あいにく医学概論三部作は今は入手できそうになく
何かヒントでもないかと購入したのがこの本
もう少し頭の回転が良かったころは哲学書を手にしたこともありましたが
今では小難しい本を読むと気持ちよく眠れる体質に変貌していますので
こういう本を読んだのは実に久しぶりとなります
考えることこそが存在そのものだと
エライ哲学者が言ってましたが
筆者もその考えに基づき「考える」ということを考えたのがこの本です
「考えるということはどういうことか」
「考えるにはどうしたらいいか」
「なぜ考えるか」
ということで話を整理しながらの展開となります
その後は著者の考えの基礎となるデカルトについての話や
文明や個性というもの
そして読書について考え方が書かれています
『下手な考え休むに似たり』という言葉もありますが
考えることの目的は真実を追求すること
考え方が下手だと到底真実にはたどり着けず
誤解や勘違いの迷宮でさまよい歩くことになります
こんなんじゃ幸福追求もあったもんじゃありません
同じ考えるのであれば上手に考えないと損
そのための必要な要素として「理性」に着目されています
この部分には同意します
ところが筆者の考えとしては様々な不平等が現実社会にある中
理性だけは皆が平等に持っている
だからその理性を有効活用しようという見解のようです
実際問題理性の有無を問われれば誰にでもあるだろうと思います
しかしそれぞれが持つ理性が同じ種類のものであったり
同じ程度のものであったりというのは考えづらいのです
筆者はこれについて間違いを犯す人は
理性の扱い方に問題があるといわれるのですが
私は「扱い」そのものが「理性の本質」であるように考えられてなりません
ま、筆者ほどの考えが私ごときに全部理解できようはずもありませんので
どこかで私の勘違いが働いたのでしょう
そういう部分をきちっとコントロールできないあたりに
私の理性の程度が見えてくるように思うのですが…
あ、もちろん私が知りたかった自然治癒力の話題は一切ありませんでした
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