手順
学生時代に論文の書き方である教授に教わったことがあります
それがとても面白いものの例えでして
「よその家を初めて訪れる時、いきなり応接間に入り込み本題を切り出したら嫌がられる」ということを言われました
「まず玄関で呼び鈴を押して、家の人が出てきたら名を名乗り、挨拶をしてから、上がらせてもらい、応接間に通されてソファーに座り、世間話をしてから本題に入る」
そうすることで相手に不快感を与えることを避け
その先に話すことに同意しやすい環境を作らないといけない
そんなお話でした
こういう例をだして教えていただくときわめて常識的なことなんですが
自分の思いが強ければ強いほど
相手が話を聞いてくれやすい環境を作ることなく
いきなり強い自己主張をすれば相手がドン引きしていることにも気づかず
一方的な主張を押し付けるような話し方になりがちです
しかし当の本人はわかってないもんだから
ごり押しが延々続き逆効果なんてことはいくらでもあります
よく街頭演説なんかで力を込めて必死に話をしているのを
冷めた目つきで一べつして通り過ぎる人が多いのも
ただ単に興味がないという理由以外にも
そういった要素があるんじゃないかと思っています
ヒステリックに叫べば叫ぶほど距離感が増えていくことさえあります
人と人とがコミュニケーションをとる場合には適切な手順をとる必要があるという金言だと思います
このことは手技療法においても同じことがいえるんじゃないかと考えています
人の身体を触るということは手を使ったコミュニケーションみたいなもの
相手の意識とは異なる身体の仕組みにまつわる節理は複雑です
その人が身体によかれと思って施術を受けても
身体そのものが「害をなすもの」と判断する場合は悲惨です
いったん害意があると感じたら身体は硬直し
表面から緊張が伝わってくることさえあります
とりわけ弱っている身体はそういうのに敏感です
過剰に反応し痛くないはずなのに痛みを引き起こし
身体が拒絶することも何度か経験しています
そういうときは玄関に戻って呼び鈴を押し、挨拶をしてから家に上がり、時候の挨拶を交わして、相手の反応を見ながらおもむろに本題を切り出すような手順で施術をやり直します
時間もゆったりかけて焦らず
身体の信頼を得ることを優先しながら触っていけば
身体に緊張が解けフツウに施術ができるようになります
その人の意思とはまた別の
身体に眠る意志
生きるための本能みたいなものかもしれません
そういうのと上手く付き合っていかないと
思ったような施術はできないものです
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