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2015/01/07

不安

身体の痛みというのは本人にしかわからないもの
私がわかったような顔をして気持ちを察したとしても
痛みは共有できません

それでも将来的に痛みが薄れ
いつしか消えることが予測できるのであれば
その時まで辛抱すればいいのですが
痛みが長期に及んだり次第に痛みが激しくなってくると
いつ治るかわからないという怖さが襲ってきます

保証はないにしてもいずれ治るだろうと予測できるからこそ耐えられる痛みも
それが際限なく続いたり、あるいは余計に悪くなってくると考えたら
目に見えない不安が襲いかかってきます

病院などをあちこち回り一向に改善できなかったといって来られる方がいますが
たいてい病んでいるのは身体だけではなく
精神的にもずいぶん消耗されておられるのが現実です

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
正体がわかってしまえばそんなに恐れることもないのですが
正体が不明の間はれっきとしたお化けとして心の中に巣食うのが現実

いったんそういう気持ちに陥ると
現実離れした将来の不安さえ
自ら作りだしてそれでまた苦しい想いをしてしまいます

ひとつでもふたつでもいい結果が出れば
なんとなく将来に対する予測もまた明るいものにかわっていくのですが
結果が出るまでの間は今ある一つ一つの事実を整理して
不安要素の可能性を精査していく作業もしなければなりません
そうやって可能性のある不安だけは残らざるを得ないのですが
可能性の低い不安はキッパリ捨て去る努力もしなければなりません

不安の分別という作業も大切な仕事のひとつだと思っています

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