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2014/03/24

あわいの力

Awainotikara
あわいの力 安田登

能楽師でありロルファーである筆者が「心」をテーマに書かれた本です
私らごときがこういうのもアレですが
以前から安田さんの文献を読んで
同じような発想をする人がいるもんだと妙な関心をしていました
もちろん知識や経験の深さは比べるべくもありませんが
我が意を得たりという内容に引き込まれて行きました

「あわい」という言葉は亡くなった祖母がよく使ってましたが
今ではほとんど聴くこともありませんが
「間」の意で使われていました
筆者は能楽師としてワキ方という立場にあり
異界と現実の間の存在から見える価値観がとても興味深く書かれています

我々人間には生まれながらにして「心」というものが備わっていますが
そのむかし人類には「心」というものがなく
時系列の認識とともに心が生まれたという
今までに考えたことのない指摘があります
心の成り立ちは過去の出来事を検証し
そこから未来の予測ができた結果
不安が生じそれが心の始まりということだそうです

言われてみればその時その時の感覚だけなら
すべての動物に存在するでしょうが
それが寸断され一つにつながらないければ
いつまでたっても感情という次元でしか存在しえず
心という次元にまで昇華することはないでしょうね

そして問題は心をどのようにして生みだすのかという問題に対する指摘もあり
身体の部分のそれぞれで質の異なる心が生まれるというくだりはとても面白かったです
私ごとで恐縮ですが何年か前にトレーニングジャーナルのコラムで
「腹が立つ、むかつく、頭にくる」というテーマで書いたことがあるのですが
心で感じるという作業はその部位で質が異なり
上に上がるほど荒々しいものになってしまうという指摘もまったくもって同意します
だからこそ「氣」を低い位置に落ちつける必要性があることは
藤平光一先生も言われています

心に翻弄される人が多い現代社会において
心というものを知ることでコントロールすることの必要性があると考えています
そういう点において大きなヒントになりうる一冊だと思います

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コメント

たしかに興味深いお話ですね。

私は不快感をよく客観視するくせがありますが、
嫌な心は胃あたりに水平に横たわってる感じがして
逆に大好きな人や尊敬する人を思い浮かべると胃から上に垂直にさわやかな柱が伸びてゆく感じがするんです。
他の人も同じなんでしょうかねー?

投稿: 若江政子 | 2014/03/24 10:34

若江さんコメントありがとうございます

「心」って気安く言ってる割に知らないことだらけです
「心で感じる」というのも身体のどこでどのように感じるかなんて考えるだけでも面白いです

若江さんのようにしっかりした身体感覚でとらえるのはなかなかできません
でもトップレベルのアーティストにはそういう感覚をお持ちの方が多いように見受けます
自分の身体なのに感じることをしないといろんな感性が持てないのでもったいないとさえ思います

>逆に大好きな人や尊敬する人を思い浮かべると胃から上に垂直にさわやかな柱が伸びてゆく感じがするんです。

ヨガには同じような身体感覚があったように思いますよ

投稿: ひろ | 2014/03/24 10:44

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