« 管弦楽組曲第2番 | トップページ | ニーズ分析と競技の理解 »

2013/10/14

意外に強い人の身体

「強い身体」と聞けば「鍛えた身体」というイメージがわきます
「鍛える」ということはツライことイヤなことを自らに課せ
辛かったはずのことがごく当たり前にできるようになったという状態
動物、いや生物というのは環境にアジャストできる能力を持っています
環境に合わせて過ごしていけないということは生存できないという事態に直結
だからそれこそ身体は必死のパッチで生き残ろうと頑張るわけです
スポーツの世界では過酷な練習という環境のなかで耐えられなければ
その世界で勝ち残ることはできず
苦しい練習さえもいつしか当然できるようになり
それができたときにこそ勝利が待ってます

ツライ環境はスポーツだけではありません
暑い、寒い、空気が薄い
人間を取り巻く自然の環境は過酷とも言える状況を作りだすことがあります
それでも人はいつしかその環境に慣れ
北極でも赤道直下でも、あるいは高度数千mという環境でフツウに暮らすことができます

こうやって見てみれば人の身体って意外にしぶとく感じます
「住めば都」とはよく言ったものです
少しの毒ならば身体を強くする
いつもお世話になっている川田浩志先生の本にそう書いてありました
抵抗力をつけるためにやるインフルエンザの予防接種なんてのも
そのいい例かもしれません

今の食べ物には身体によくない物質が使われている
そんなこともある程度知ってはいるつもりです
だからと言ってそれをすべて排除するわけにもいきませんし
身体に害のないものばかりを選ぶのも事実上無理な話

大切なことは理解した上で量的なコントロールができるかどうかだと思うのです
私は意外にしぶとい自分の身体を信じてやりたいのです
多少の毒はある程度自分を強くするかもしれませんし
神経質になって排除しようとするのも精神衛生上よくないように思います
悪の権化みたいに言われるファーストフードの食品だって
飢えに苦しむ地域の人が食べれば何人もの命を救うことができるでしょう
しかしそれを毎日のように食べれば病気のリスクは高まるはず
要は量の問題なんですよね

これを食べたら健康になるという商品も百花繚乱
しかしそれを食べれば今までと比べてどの程度健康になるのでしょう
少なくとも今まで食べてきたものでも元気で長生きしている人はいくらでもいます

身体によくないものを排除して身体にいいものを取りたいという願望は自然なこと
しかしながらあまり神経質になりすぎても
現実に可能なことと不可能なことはあります
またそういう気持ちを見越した商業主義の食い物にされるのも個人的にはイヤなんです
楽しく感謝しながら食べることが一番いいようにも思えます

そういえば先日10年ぶりに某ファーストフードで鶏の揚げものを食べました
美味しかったですよ
さすがに3つも食べたんで胸が悪くなりましたが…

|

« 管弦楽組曲第2番 | トップページ | ニーズ分析と競技の理解 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 管弦楽組曲第2番 | トップページ | ニーズ分析と競技の理解 »