尻矢口
毎朝通勤で通る途中にある「尻矢口地蔵」です
ここの思い出は喜連に引っ越してきた小学一年生のとき
ここのお地蔵さんが集団登校の集合場所でした
その後も多少場所の変更があり
このお地蔵さんのすぐ近所にある大きな椿の下に集まったこともありますが
基本この近くから学校に通ったのでした
さてこの尻矢口というお地蔵さんのネーミングなんですが
戦国時代この場所に敵を待ち構えて矢を放つ場所があったんだとか
先日喜連小学校の西側あたりに喜連城があったという話をしたのですが
どうやらその情報は間違いで腰痛館のすぐ南西にある如願寺がその跡地というのが真相だということを知りました
先日の記事で詳しいことをご存知の方はぜひ教えてくださいとお願いしたら
先輩がご丁寧に喜連城の記述があるサイトを教えてくださいました
喜連城には何人かの領主が入れ替わりでおられたそうですが
まさかこんなに近所だったとは驚きです
昔あった喜連幼稚園から西に延びる用水路も
お城のお堀だったことは二重の驚きであったともに
なんとなく話のつじつまが合ってきました
こちらが昨日撮影した如願寺ですが
去年の秋喜連音楽祭で久々に境内に入りました
まさかここがお城の跡地だったとは…
右に見える大きな木は喜連幼稚園に中ですが
昔は空き地でしてよくこの木に登ったものです
尻矢口のお地蔵さんですが
ちょうどこの位置が城の南東の端になるそうで
ここにも環濠があり1960年に埋め立てられたそうですが
それまではここに石垣があったんですって
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