« This is Mozart | トップページ | メンテナンス »

2012/11/05

challenge

先日興味深いブログの記事を見つけました
豊浦彰太郎のMLBブログ Baseball Spoken Here!というブログなんですが
この中で花巻東高校の大谷翔平投手の「メジャー挑戦」について
アメリカのメディアが皮肉っぽく捉えて報じているといことについて書かれていました
詳しいことはメジャーに「挑戦する」大谷翔平は「自信満々」?をお読みいただきたいのですが
英語の「challenge」と日本語の「挑戦」とでは大きくニュアンスが違い
「挑戦」という言葉を英語に直訳するとすごく偉そうに聞こえるという内容です

日本では「挑戦」という言葉を使うとき
自らを低いところにおいて相手が王者であることを認めるというニュアンスになります
別の言葉で「胸を借りる」というのもありますが
自分より強い相手と戦うことで研鑽を積み自分を高める
そういった目的が内在する言葉といってもいいでしょう
日本人は「謙譲」が好きで自分自身のことはへりくだるのをよしとする価値観が今もなお根強く残ります

自分のいいところを殊更アピールすることはみっともない
そんなふうにさえ考えているのは間違いなさそうです
西洋化した現代日本においては薄れたとはいえ
まだまだ自分をアピールするのはヘタクソのようです

英語の「challenge」は違います
直訳すれば同じ単語なんですが
この言葉を発する本人の意気込みからして違います
「相手を打ち負かして自分が王者になるんだ」
あるいは「自分の方が強いんだ」というアピールという要素さえ含まれているようです

同じ言葉でも立場が180度変わってくるわけです
だから高校生の大谷選手が「メジャーに挑戦」という言葉をそのまま英語にされると
「メジャーリーグ全体をやっつけてやる」というニュアンスに解釈されるようです
生意気なやつですよね
だからアメリカのメディアの冷ややかな目もうなずけるわけです

21世紀の今でもアメリカは狩猟民族の文化が残り
日本は農耕民族の文化に基づく発想が脈々と付け継がれているようです
狩猟民族では獲物を捕えたものがヒーロー
だから「オレがオレが」という価値観になり
それぞれのコミュニティーで力を合わせて農作業する農耕民族の価値観には
突出したヒーローよりも秩序を守る共同意識の方が重んじられるわけです

ちなみにカール・マルクスはアジア的生産様式と称して
アジアにおける農業共同体の仕組みを
社会主義的思想に取り入れたんだとか…
なんとなくわかるような気もしますが

今農業に従事している人は日本人で何パーセントくらいになるんでしょうね?
100年前に比べるとずいぶん減ったはずです
それでも数百年、数千年で培ってきた文化や価値観は
ちょっとやそっとでは変わらないのでしょう

「challenge」というひとつの言葉でも文化基盤の違いが浮き出るようです

|

« This is Mozart | トップページ | メンテナンス »

コメント

やっぱ関西人は大谷嫌いなん?

投稿: | 2012/11/06 09:14

そんな話初めて聞きましたけど…

投稿: ひろ | 2012/11/06 10:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« This is Mozart | トップページ | メンテナンス »