考えてみたら
ギョーカイのお話で恐縮ですが…
ここ数年クラニオワークを用いる機会が増えています
師匠のもとでクラニオワークを習ったころは
クラニオセイクラル・セラピー(頭蓋仙骨療法)として教わり
今のようにいくつかの分類に分かれてはいませんでした
いや、そのころすでにそういう流れになっていたのかもしれませんが
私自身の勉強不足と情報不足で知らなかっただけかもしれません
修業中はインターン仲間内でも「クラニオワーク嫌い」と言われていました
私の本心としては訳がわからないものをわかったような顔をしてやることに疑問があったので
クラニオワークには興味を示さずカウンターストレインやマッスルエナジーテクニックなどを積極的に習得しようとしました
ハッキリ言って当時は妻子持ちのオヤジがこの世界で勝負をかけようという意識が強かったので
何がどう作用してどんな効果が得られるかわからない手技に時間を費やす気がしなかったのです
インターン仲間から「クラニオワーク嫌い」と言われるのも釈然としなかったのですが
密かに興味は持っていました
それとクラニオワークには当時教わった内容や本に書かれていることの裏に
もっと大きな要素が隠されていると睨んでいました
そのへんは若い人たちと違って
世の中には裏表があることを肌で感じていたのです
何年もこの仕事を続けているといろんな経験をします
時には苦し紛れで繰り出したクラニオワークが功を奏したであろう事例も増えてきました
ありがたいものでクラニオ関係の難解な本を和訳してくださる奇特な方もおられ
クラニオワークの本を何冊も読み新しい情報も得ました
やはり当時考えていたようにクラニオワークには裏表(私にとって)があったようです
これでなんとなく頭の中で納得しつつ勉強を続けると
クラニオワークの分類があることを知りました
リドリーの分類によると3種類あるそうですが
いったい自分のクラニオワークはいったいどれに当てはまるのだろうという疑問が生じました
何を感じて何を対象にすればいいか悩んだものです
しばらくそんなことを考えていたのですが
何年かたったのち一つの結論に達しました
よく考えたらどの分類のクラニオワークを目指すかよりも
私自身が何を感じることができるかの方が大切ではないか?
つまり違うものを感じようとしてもその能力がなければ空回りですからね
それとごもっともなことを書いておられるアメリカのエライ先生方も
所詮は自分が感じたことを後付けの定義や分類をしたにすぎないのではないかという考えに至り
以来それぞれが自分の感じるところに従いクラニオワークをすべきである
そんな開き直りにも似た結論に達したのであります
もちろんこれから経験を積んでいく過程で感じるものが変わる可能性はあるだろうと思います
本などで得られる情報は情報として参考にさせていただくとして
結局この世界では自分で感じ取ったことがすべてなんだろうと思います
無理して他人の価値観や能力に合わせる必要はないのでしょう
長いことやっていると上手く自分を肯定する習慣がつくようです
ただ安易な道や楽な道を選択したいとは思いませんが…
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コメント
こんにちわ!
クラニオワークと言う言葉は、勿論、
素人の私は、初めて聞きます。
当たり前か(笑
お仕事されておられると、色んな方が
いらっしゃるでしょう。
自分で感じ取られた事が一番なのですね。
投稿: うさうさ | 2012/09/26 12:20
ギョーカイでは結構有名ですが
一般社会ではまずご存じの方はいらっしゃらないでしょうね
クラニオだけではなくどんな仕事だって自分がどう感じるかって大切だと思います
投稿: ひろ | 2012/09/26 12:22