« 猛暑 | トップページ | ポテトサラダのチーズ焼き »

2012/07/20

人を見るか病気を見るか

「現代医学」といいますがだいたい19世紀以降の医療を指して言うそうです
このころから細菌やウィルスに関する研究が盛んになったのがその起源ともいえるようです
さらにモルヒネが開発され麻酔が生まれ手術が可能になったことや
レントゲンという人が発見したX線により画像による診断ができるようになったのも医学が飛躍的に進歩を遂げた理由のひとつでしょう

もちろんそれ以前にも医学はあったわけで
それぞれの土地のそれぞれの文化があるように
それぞれの国にそれぞれの医療があったようです
エジプト・バビロニア・ギリシア・ローマ・インド・中国
人類の歴史というものが後々に伝わるようになって以来
文化と医療は切り離せないというのも歴史的な事実のようです

情報のグローバル化にともない各地方で行われていたものも共有され
世界各国で現代医学が浸透し発展していったという事実には説明の必要もありません

古くから行われていた医学と現代医学の違いに関してはいろいろな説明があるとは思いますが
その中のひとつとして私が感じるのは
現代医学が病気そのものの研究に視線が集まるのに対し
古代からの医学は人の特性が対象になっているように思います
もちろんすべてがすべてというわけではありませんので
私の感じることをことさらに強調するつもりもないのですが
緩やかにそう感じているとご理解いただければありがたいです

古代ギリシアではヒポクラテスが四体液説を唱え
インドのアーユルヴェーダ医学では人間および環境世界はヴァータ ・ピッタ ・カパという3要素を持っているとする説もありますし
伝統中国医学では心身全体のシステムを診たうえで行うとされています
日本でも野口晴哉先生が12種類の体癖を唱えていました

別にここで医学史のお話をしようというわけではありませんので
詳細については割愛させていただきますが
その対象となるのが人になるのか、それとも病気に向くのかは
アプローチするときの大きな問題点になるんでしょうね

どちらがいいのか?
そんな単純な命題になってもいけないような気がします
こういう問題が提示されるとAll or Nothingの思考にとらわれがちですが
極端に走れば歪みにさえ気づかないのでしょう
上手く両者を融合し折り合いがつけば一番いいように思います

|

« 猛暑 | トップページ | ポテトサラダのチーズ焼き »

コメント

森羅万象の事象や推測を細かく分類・体系づけて書いておく。
またその裏づけを検証・証明してみることが学問だと認識しております。
それが医療事なら医学になるのでしょうね。
人に向かう医の経験則を全部書き残す学問があって然るべきですね。

投稿: すくわか | 2012/07/20 20:11

「わが意を得たり」
そんなコメントをありがとうございます

それぞれの考察には多くの溝が存在します
それを埋めるのはニュートラルな精神なのかもしれません

投稿: ひろ | 2012/07/20 20:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人を見るか病気を見るか:

« 猛暑 | トップページ | ポテトサラダのチーズ焼き »