ローカルルール
「オステオパシーってどんなことをするんですか?」
こんなお電話をよく頂戴します
ギョーカイではオステオパシーの名前を聞いたことのない方はたぶん少ないんだろうと思いますが
一般社会では聞きなれない横文字のひとつにすぎません
それよりも手技療法の種類の多さは星の数ほどあるんじゃないかと思うくらいですが
その中のひとつというだけでは認知度が高くないのも納得します
「アメリカの外科医がやり始めた…」
我々がいくら言っても世間に知ってもらうのは程遠い話です
まあそれはどうでもいい話なんですが…
私もいろんな手技療法をやる人とご縁があり知り合いになります
私自身としてはこういうつながりはとても好きなんです
どうしても身内で固まって繋がりたい人も多いのですが
これでは入ってくる情報も少なく偏ったものになりがちです
むしろ全く違う考え方の人に出会って話を聞いている方が
自分の知らないことで参考になることも多く
違った角度から自分を見つめなおすこともできるからです
ただひとつだけ厄介なことは言葉が通じないことが多々あるということです
同じく日本語を喋っているんですが話がかみ合わないことがあるんです
どうしてもそれぞれの手技療法が生まれ進歩していった経過が
その仲間内の間でというパターンも少なくなく
話の内容が部外者には理解できないこともあるんですよね
だから同じ言葉を使ってても定義付けが違うこともあり
話の前提が違えば話の結末も違うわけですから
なかなか相互理解が得られず感情的になることさえあります
「あいつの言い分は間違ってる」
こうなるわけです
オステオパシーでもクラニオワークで「一次呼吸」という用語がありますが
「呼吸」という言葉を使いながら肺で行う呼吸とは違うことを指します
それが悪いというのではありません
ただその中でドップリと浸かってしまうと
それ以外の人との会話の中でも当たり前のように出てしまうことがあり
妙な誤解を受けることもしばしばです
中にはエビデンスの乏しい理論を前提条件に話をされると
理解される方が難しいのですが
言ってる本人はそれが当然のことと検証することなしに信じ切っていると話がもつれてしまうのは必至
自己主張だけでかみ合わない話が続くと…
「もういらんわ」となってしまうわけです
なかなか自分たちのローカルルールをローカルルールとして認識することは難しいというお話です
みんな自分が世界基準だと思っているんですからね
| 固定リンク
コメント