踏切の跡
線路なくして踏切あり
どうも違和感が漂う光景です
ここは平野区出戸
元々は城東貨物線が通っていたところ
子供のころはディーゼル列車が汽笛を鳴らして走っていました
そういえば奈良方面に行く大和路線(関西線)も昔は電化されておらず
電車ではなくディーゼル車が汽笛を鳴らしながら走っていたものです
バブルのころには客車を走らせ大阪南港まで開通するという計画もあったのですが
それがいつの間にやら計画もうやむやになり
単線から複線にするために買収して広げようとした土地も
無駄に広い歩道になったままです
「夏草や兵どもが夢の跡」
松尾芭蕉のこんな俳句がありますが
この光景もバブルの夢のあとかもしれません
線路もいつの間にかなくなり
この先、延々と続くこの長細い土地はどう変わるんでしょうね
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コメント
この城東貨物線は、住吉区苅田町にも走っていました。
国鉄阪和線杉本町駅で合流していたのです。
当時、昭和天皇の時代、和歌山での国体に行かれる時は、この城東貨物線にお召列車を走らせていました。
私たち国民は、日の丸を手に、田んぼのあぜ道に立っていました。
投稿: 金つば | 2012/02/10 08:40
高校時代は大和川の堤防を通って通学していました
城東貨物と並行して自転車を走らせていたんです
城東貨物線もたまに客車が通ることは聞いてましたが
天皇陛下を乗せた列車が走ったことは知りませんでした
さすが年上!いろんなことをご存じで…
投稿: ひろ | 2012/02/10 08:53