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2011/12/19

「みる」ということ

小学生の時担任の先生から教わったことで印象深いのは「みる」という言葉
漢字で書けば「見る」「視る」「観る」「看る」という四つの「みる」があり
それぞれの「みかた」は異なるという内容です
大人になってからもうひとつ「診る」というのもあることに気付いたのですが
これら四つの「みる」は「けんしかんかん」と覚えるようにいわれたのですが
おそらく語呂の上から「診る」が邪魔だったのではないかと推測する次第です
まあ、このあたりの大人の事情は置いといて・・・

とりあえず視覚に入る程度の「みる」から
意識してみる、注目しながらみる、そしてプロがその能力を駆使して素人さんではわからないところまで洞察するというレベルの「みる」まで、「みる」という言葉の奥行きの深さに感心したのでした
それから数十年たった今、縁あってこういう仕事をしているわけなんですが
あらためて「みる」ことに対する重要性を感じています

今年一年を振り返るにはちょっと早いかもしれませんけど
この一年間自分自身のテーマとして取り組んだのは「みる」ということ
この仕事に足を踏み入れてからいくつかの技術を習得してきました
まだまだ未熟ではありますがなんとかここまでその技術で飯を食ってきました
ここから先、さらに新しい技術を学んで幅広い対応ができるよう備えるという選択肢もありましたが、しばらくの間は技術習得よりも「みる」能力を向上するべきではないかと考え過ごしてきました

何度もここのブログで私の考え方を申し上げてきましたが
いくら優れた技術を持っていたとしてもどの局面で、どういう目的で、どんな効果を期待して繰り出すかによって大きく結果は変わります
そしてそれらの組み合わせは無限に存在し同じオステオパシーの技法を習った者でも同じ施術はありえないと思います
当然そこから導き出される結果も同一であるはずがありません

ならば技術の数を求めるのではなく適正な技術の使い方を求めるために状況認識力の向上を図った方がいいのではないかと思ったのです
さまざまな情報をもとに正確に状態を把握し
的確な判断の元に技を繰り出す
そのための前提となるのが「みる」能力というわけです
ひとつひとつの情報をバラバラに見るのではなく
全体としてひとつの形になれば理想的
それぞれの因果関係まで見えれば問題は半分解決したようなもの
あくまでも理想のお話ですから理想的に考えています

もちろんそんなことを意識しながら見てもそうやすやすとできることではありません
それだけはハッキリ思い知ったのですが
今年一年わずかなカケラ程度のものは拾うことができたように思います
まずは意識しながら見る習慣はできてきたようです

さあ、何が見えてくるか楽しみです

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コメント

読み始めて、「診る」がない!と私もすぐに思いましたが、その先生は病院に縁がなかったのかもしれませんね。
私は、「視る」は、すぐには出て来なかったかもしれません。

「意識しながらみる」ですね。
意識してみます。

さぁ今日は、診てもらいに病院に行ってきます。

投稿: persian | 2011/12/20 09:21

語呂合わせの方が覚えやすかったからなんでしょうね
おかげで私でも覚えることができました

同じものを見ている人でもその人の意識ひとつで感じ方考え方は異なります
あとはどういう意識で見るかの問題ですね

体調万全で新年を迎えたいですね

投稿: ひろ | 2011/12/20 09:52

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