普段私たちは歩くときそれぞれの筋肉の動きを意識しません
そりゃそうです
歩くという単純極まりない動作において発動する筋肉の種類はひとつやふたつではありません
腰から下だけでもほとんどの種類を使うのであり
この次元で見ても数十種類はあろうかと推測されます
一本一本の筋肉の伸び縮みを意識していたら
おそらく数歩で足がもつれてしまうこと請け合いです
現実的には歩くという動作そのものよりも
「前に進む」という動作の目的を意識しているのだろうと思います
日常で行う動きのほとんどはそのひとつひとつの筋肉の動きは無意識レベルで行われます
だからこそスムーズに行われるのであって
中途半端に本人の意識が介在すると途端にギクシャクした動きになるといいます
こんな話を聞いたことがあります
ゴルフで同じ組をラウンドしている人を蹴落とすためにはこんな質問をすればいいそうです
「パットが冴えてるねぇ」「どんなグリップをしているの?」
この質問で意識していなかったグリップがどんなふうにしているのかを考えてしまい、途端に微妙に狂いが生じ今まで好調だったパットが入らなくなるそうです
これは明らかにマナー違反ですが
現実問題ではゴルフのプレー中些細なことで調子が乱れることもしばしば
うなづいていらっしゃる方も多いのではありませんか?
「コツをつかむ」ということはいい状態の動きが無意識レベルで行われるようになることであるといわれますが、いったんコツをつかめば鼻歌交じりでもできてしまうから不思議なものです
いやむしろ、ある程度できるようになったら鼻歌でも歌いながらリラックスしてやった方が習得は早いのかもしれません
それでも最初は大切なポイントを考えて正しい動作を意識しながらやらないといけません
無茶苦茶な動きを無意識でするようになればこれはこれで変なクセがついてしまい後から修正するのは容易ではありません
どんなスポーツにも基本があります
これをきちんと習得して土台を作った上で次の技が存在します
だから基本に関しては徹底的に正しいものを覚えこまないといけません
そのためにはひとつひとつの動きに対してもあえて意識レベルに持ってきて確認しながら反復継続するべきでしょう
「身体感覚」と研ぎ澄ましすべての筋肉の微妙な動き方を感じ取りながら覚えるという作業が必要ではないでしょうか?
とても面倒くさい作業になります
漫然と言われた通り練習をしている方が楽なのはわかります
「急がばまわれ」という言葉の通り邪魔くさいことをやった方が習得できるものの質が違うように思うのです
ヨガのレッスンを受けているとき必ず言われるのは
身体の動きを感じながらやること
身体の裡に集中力を向けると筋肉の伸び縮み、血液の流れ、関節のきしみ、筋肉の疲労、呼吸などいろいろなことが感じ取れます
その時に息を吐いた方が楽にできるとか、力を抜けば大きく動けるとかが感じ取れるのです
それがコツをつかむ秘訣みたいなもの
そういう感覚を頭と心と身体で理解するためにヨガなどは極めてゆっくりした動作をしたり、静止状態で行うのではないかと考えています
単純に身体の柔軟性を得るためのポーズではなく
そのときの身体感覚に意識を向けることのポイントがあるように思います
ヨガの行者は妙なポーズで何時間も集中するそうですが
それは「集中」という作業を自らに向け自分自身を感じ取る修行ということになりそうです
スポーツなどにおいて自分がしようとする動きに対してどれだけ意識を向けてどれだけのものを感じ取ることができるか?
それを繰り返し行うことで力の使い方を効率的にすることができれば、それがコツをつかむということになるんだろうと思います
このように考えるのはまだ私個人の仮説にしか過ぎませんが
もう少し時間をかけて動きと意識の関係を探っていくことにします
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