刻
昨日出勤するときに田んぼ水がはってあるのを発見しました
大阪市内といえども平野区はまだわずかに田園風景も残ります
それぞれの農家でいろんな段取りがあり田植えの時期もまちまち
思ってもみない光景に出くわしてもうすぐ梅雨が来ることを実感しました
明後日から6月ですもんね
どうも漫然と過ごしているとあっという間に時間が経過します
光陰矢のごとしとはよく言ったものです
「うっとうしいですね」
もうじきこういう挨拶が聞かれるようになるんでしょう
日々の生活に追われていると大きな枠組みが見えなくなっていることもあるようです
ちょっとした環境の変化にハッと気づかされることもあります
時計の秒針が動くのは誰しも認識できますが
一分刻みに動く長針になるとその動きは認識できません
ましてやそれが短針になると止まっているかのごとき錯覚さえ覚えます
でも常識としてそれら全部が動くことは誰でも知っています
日常何時間に一度しか時計を見ないと時計が動いていることに気付きますが
ずっと見ているとまず気付かないでしょうね
これから田んぼには苗が植えられ、育ち、色が変わり
最後に稲穂が刈り取られます
イネや時計の針なら客観的に見ることもできますし
すべてを把握しなくても私にとってはたいした不利益はありません
でも私の身体は着々と年を取り衰えていってるはず
時を刻むことは往々にして不利益なこともあるのです
それを知っているだけでも少しが違うとおもうのですが・・・
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コメント
肉体的な老いを感じます。
が、一方今まで体験してきたことを今理解する僅かな能力も備わってきていることを知ります。
20年前なら解らなかった事象を少し判断する幅ができたのかも知れません。
心・技・体、今充実しているかも知れません。
どこから崩れるのか、不安です。
投稿: すくわか | 2011/05/30 20:04
先ずは感じることから始まります
20年前には備わっていなかった感性をフルに使い
先手を打つことがさらなる充実をもたらすと思います
それが実行できれば意外と年をとることも悪くないじゃないでしょうか?
投稿: ひろ | 2011/05/30 20:40