拙速
出来はよくないが仕事が早いことを拙速といいます
大昔、自動車免許を取りに行ったのは19歳の頃
教習所で初めて車を動かしたときのことを思い出します
当時はオートマ車は普及していなかったのでマニュアル車が普通
足は二本しかないのにアクセル・ブレーキ・クラッチと3つのペダルがあるわけです
この不条理は私を苦しめました
クラッチペダルを上げてギアを接続するのですが
極めて微妙なタッチが要求されます
素早く車を発進しようと急いでクラッチを上げると車はしゃくりあげるように震え、そのあとエンストをするのです
当時の教習所は教官もスパルタタイプが多く、罵倒されるのが当たり前
悔しさだけが印象に残る免許取得でした
まあ、ヘタクソだったというのが唯一の客観的理由であることは
免許を取って車に乗る機会が増えたときに理解できました
拙速が早くてヘタクソならば、ゆっくりやればいいのか?
そう思うのは安直で、遅ければ遅いでのろまという評価が待っているのです
要するに早くて上手いのがベストであることは間違いありません
この問題を解決すべきキーワードは「丁寧」じゃないかと思うのです
丁寧というのは意識を向けることであり、スピードの問題とは本質的な違いがあると思うのです
ただ「早くしなければいけない」という意識が「丁寧にする」という意識を上回った場合に「拙速」という事態に陥りやすいのではないでしょうか?
常に「丁寧」という意識を持っていて身についていたならばなんとかなるんじゃないでしょうか?
それに気がつけば問題は解決するかもしれません
我々の仕事でも「拙速」はあります
いや、それが日常なのかもしれません
自分でそれに気づかないところに落とし穴があります
気づいたときに初めてあのときがそうだったとわかるのでしょう
下手な手技療法の要素がこの言葉に集約されるんじゃないかとも思うんです
圧をかけないスムーズな接触から身体の様子を探るように合わせる
反応を見ながら徐々に圧をかけたり動かしたり
わずか数秒までの時間にこれくらいの意識を身体に対して向けなければいけません
拙速な仕事はしたときにはわからず、されたときにはわかるものです
それに気づかないこと自体害悪
少なくとも雑な気持ちでやっている間は気付かないんですよね
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