必生 闘う仏教
仏教が生まれた地インドで仏教復興運動に生涯をささげる佐々井秀嶺師
以前その壮絶なる半生を記した山際素男氏著の「破天~インド仏教徒の頂点に立つ日本人」を読みましたが、佐々井師の荒法師たる活躍ぶりや破天荒なエピソードがドラマティックに描かれていました
正直「破天」のイメージを持ったまま「必生 闘う仏教」を読み始めたときその静けさに肩透かしのような違和感を覚えました
「破天」が荒れ狂う嵐の海だとしたら、「必生」は水面に顔が映るほどの穏やかで澄んだ湖
それでも読んでいるうちに正反対とも思えるイメージが重なりひとつになっていきました
客観的に第三者から見た佐々井師の生きざまと佐々井師の内面の仏の心
この二冊は決して対をなすものではありませんが
どちらも知っておかなければ佐々井師というひとりの人間に触れることができないのではないかと感じました
「座禅や瞑想は、立ち上がってからなにをするか、そのためにあると思います」
本書の最後に書かれた一文です
具体的にどう行動するか?
どのように生きるのか?
そのための瞑想であり座禅であり、そして宗教である
行動するために修行するという力強いメッセージに深い感動を禁じえません
釈迦の教えを学び、経を読み
それでもなおかつ行動できないのなら
それはもはや仏教ではない
そんな佐々井師の声が聞こえてきそうです
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コメント
こんばんわ!
仏の心って、大切だなと思うんですよ。
私の場合は、仏様を拝むくらいですけどね。
今日は、何気に神社にお参りに。
す~っとするんですよ。
帰ってから、用事がすいすい出来る事。
投稿: うさうさ | 2010/11/03 22:57
私自身特定の宗教を信心するわけではありませんが
何かに対して頭を下げて謙虚な気持ちになることが大事なんじゃないかと思います
投稿: ひろ | 2010/11/04 07:06