モーツァルトの手紙
2006年ももう残すところあとわずかですが
今年はモーツァルトの生誕250周年でもありました
たまには私だってモーツァルトを聴くこともあります
モーツァルトが父親にこんな手紙を出したそうです
僕は詩を書くことは出来ません、詩人ではありませんから。
表現を巧みに描き分け、影や光を生み出すことは出来ません、画家ではないからです。
そればかりか、僕は手振りや身振りで自分の気持ちや考えを表すことも出来ないのです。
舞踏家ではありませんから。
でも、音でなら、僕はそれが出来るのです。
だって、僕は音楽家ですから。
それぞれの人たちがそれぞれの才能を生かして表現する
レベルの高い人もいればそうでない人もいます
でも人は何かを感じ、何かを表現して生きています
詩を書く人もいれば
歌って表現する人もいます
ステキな絵で人々を感動させることだってできます
踊りで自分の感情をぶつける人もいます
お料理でも気持ちを伝えることもできます
丹精込めて打ったうどんには心動かされます
私の周りにはステキな表現方法を持った方がたくさんいます
それぞれの方が素晴らしい表現者だと思います
みんながモーツァルトになる必要はありません
私だって・・・
| 固定リンク
コメント
饂飩道を究めるのですね (;^_^A
投稿: 冬薔薇 | 2006/11/14 08:59
そうそう。。小麦粉から仕入れて・・・(´-`)
なんでやねんヽ(`Д´)ノ
投稿: ひろ | 2006/11/14 10:21
うどん屋さんでなければ、お笑い・・・吉本のトップを狙うのでしょうか(爆
投稿: 390X | 2006/11/14 12:37
松竹芸能さんでもよろしくてよ(∂∇<)/
投稿: ひろ | 2006/11/14 12:40
自分が自分になるってのはちょっと難しいですよね。大概、自分はその他大勢の一人です。でも、自分って物を確立するには、もしかしたら自分を消すって事かもしれません。自分ってこんな?こう?なんて言っているうちはその他大勢なんだろうなぁ。自分を意識しなくなった時点で、初めて他人は自分を「個」とみなしてくれる様なしない様な・・・はぁ?(笑)
投稿: ふんばり店長 | 2006/11/14 14:20
組織に属するということはそんな部分もあるかもしれませんね
でも組織や集団で一人ではできない大きなものを創ることも可能です
1+1=2 10+10=20
こんな感じにはならないはずです
そのときは「個」が消えたんじゃなくて新しい別の「個」ができたと解釈できるんじゃないでしょうか?
団体で何かをやり遂げたときの楽しさは一人のときとはまた違った楽しみがあると思いますよ
要はその団体に対する思い入れ次第なのかもしれません
投稿: ひろ | 2006/11/14 14:35
こんにちわ!
モーツァルトの生誕250周年でしたか。
父親にあてられた手紙、しみじみと、心に
残りますね。
みんな、それぞれで、またそれぞれに違って
いいのですよね。
投稿: うさうさ | 2006/11/14 16:57
みんながそれぞれの方法で何かを伝えるのが大事なことのようですね
投稿: ひろ | 2006/11/14 17:26
マジレスすると・・・
自分は何故自分なのか。
自分は何故存在しているのか、すごーく悩んだ時期があります。中学~20代前半くらいまでです。
思う悩む考える・・・このこと自体がわからないで悩んでいました。言葉を変えると、しょーもないことで悩んでいたんですねえ(笑)
今も答えは出ておりません。考えてもしよーもないし(^^ゞ
投稿: 390X | 2006/11/14 19:17
神様から、もらった命を最後まで、全力で生きられたら
それは、みな幸せでしょうね。
終わる時、幸せだったか、人間の価値が決まるような気もし
ます。物は死んでは持っていけないけど、精神は残る気がす
るな。後世に残るようなものを残せたら、本望ですね
投稿: みさ♪ | 2006/11/14 19:30
390Xさん
その時期はダレでもそんなことを考えるんでしょうね
今になって思うのは、ただ頭の中で考えるだけではなく
何か行動をしながら考えた方がより具体性が見えてくるのではないかということです
きっと答えは出なくても答えには近づいてくると思います
投稿: ひろ | 2006/11/15 07:53
みさ♪さん
同感ですね
私も「くたばるときに後悔しない」常にこれが行動指針になっているつもりです
自己実現できれば本望です
投稿: ひろ | 2006/11/15 07:55